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旭川の歴史タイトル
<謎めく地名「旭川」>
旭川という地名が初めて文献に登場したのは明治23年9月20日(北海道庁令開村告示)。
岩村通俊と永山武四郎の両北海道長官の命により北海道のアイヌ語の地名を調査した永田方正は、初期の旭川開拓の中心地
であった忠別太の「忠別」について、アイヌ語のチュプペッ、すなわち「東」「川」を意味し、この川の水源が東にあって
日の出ずるところであることから「旭川」の名がつきました。
しかし、その後さまざまな異論、反論が加えられることに。ある人はチュプペッではなく、チウペツすなわち急なる川であ
ると。またある人はチウペツすなわち波立つ川の意であると。はたまたチュクペツ、すなわち秋(鮭の遡上が盛んであった)
・川であったのではないかという説。たとえ誤訳であったとしても「あさひかわ」という地名は、まちを語るにふさわしい
歴史と多くの謎を秘めています。
旭橋イメージフォト <戦時下は師団橋とも呼ばれた「旭橋」>
旭川ゆかりの詩人で、常磐公園に詩碑が建つ小熊秀雄は、北海道旭川新聞社連載
の「旭川風物詩」で昭和13年6月に『旭橋の感想』としてこう書いています。
旭橋、橋に掲げられた大額には 『誠』と書かれてあった 
この橋をわたるとき 市民は脱帽した
私も敬意を表した しかし橋や建築師に 脱帽したのではない 
人間の『誠実』を愛する
こころに脱帽したのだ 愛と、誠実の街 旭川よ!

いつの時代もこのまちとともに生きる旭橋は、約百年の歴史をもつ北海道を代表
する名橋。彼方に大雪山連峰と眼下に母なる石狩川を仰ぎ見るその風景は普遍的
な旭川のシンボルです。

旭橋イメージフォト 明治37年に初代旭橋(同25年に仮橋)が完成し、その後、昭和7年にドイツから
鋼材を輸入してつくられた際に、現在の姿へ。以後、色塗りや補修工事は行われ
ていますが、橋の姿はその当時のままに、重厚な美しさで歴史の重みを感じさせ
てくれます。

駅前から旭橋につづく道はかつて「師団通」と呼ばれていましたが、終戦(第二
次世界大戦・太平洋戦争)を迎えた昭和20年に現在の「平和通」と改名されまし
た。軍都としてのこのまちの歴史は、屯田兵に遡らなくてはなりません。屯田兵
は北海道開発のために明治8年に組織。旭川には同24年に永山に、翌年東旭川地
区に入植しました。
屯田兵とは開拓と警備を兼ねた兵士で、士族救済の目的もあったといわれていま
す。また、その10年後の明治34年には旧陸軍の「第七師団」が旭川に移り、ま
ちは活気にあふれ、入隊や面会のために家族が泊まった旅館の数は、百数十軒に
ものぼりました。第七師団の歴史は、昭和37年に陸上自衛隊第二師団への編成が
完結され、いまに至っています。
今日、旭川市民をはじめ多くの観光客を魅了してやまない「冬まつり」の大雪像
は、自衛隊のみなさんの力なくしてはあり得ないこともつけ加えなければなりま
せん。

<美しい基盤の目の街並み>
旭川の市街地は、広い道路と碁盤の目のような整然と区画されているのが特徴です。何条、何丁目ということさえ分かって
いれば、はじめて歩く人でも迷うことなく目的地へ着くことができます。この理路整然とした区画は、いまから約110年も
昔の明治22年に、ニューヨーク大学を卒業した工学博士によって計画されたものです。
官庁や学校、工場、鉄道用地なども見込まれており、当時としては非常に先見性に富んだ都市計画だったといえます。
旭川昼イメージフォト <幻の上川離宮>
明治19年、初代北海道長官に就任した岩村通俊は、上川の開発に日本の未来を描
きました。しかし最大の悩みは移民問題。そこで人々の関心を一挙に北海道に向
けさせようと、同22年、二代目長官の永山武四郎は岩村の意志を受け継ぎ、上川
に北京を定める旨の建言をします。それに対し政府は「離宮」と改めた上で、そ
の設置を異例の早さで決めました。
翌23年から調査が実施され、予定地を現在の上川神社のある「神楽岡」とし、一
帯を御料地(現在も御料地は地名として残る)に編入されました。しかしその後の
札幌方面の反発などによって、離宮造営は暗礁に乗り上げてしまいました。
上川神社境内には「史跡上川離宮予定地」の標示と、永山武四郎の離宮設置を思う
次のような歌碑が建立されています。
上川の清き流れに身をそそぎ 神楽の丘に御幸仰がん
また近文山に岩村通俊らが建立された「近文山国見の碑」には、広大な上川平野を
讃え、ここに府都が成ったならば、杯を挙げて国見をした今日の日を語り合おう。
そんな壮大な思いが刻まれています。
ふたりを虜にした旭川の景観美は、いまでも嵐山や近文山・旭丘から眺めることが
できます。大雪山連峰と悠久と流れる石狩川、そして夜には星をちりばめたように
輝く街灯りがロマンチックに胸に迫ってきます。
なお、旭川にある「永山」という地名は、永山武四郎の名からつけられたものです。
旭川夜イメージフォト <北海道スキー発祥の地>
オーストリアの武官レルヒ中佐が旭川駅に降り立ったのは明治45年2月のこと。目
的は、旭川第七師団へのスキー指導でした。当時は1本杖(ポール)でしたが、初
めてのスキーに戸惑いながらも将校たちはテレマークやボーゲンなどを楽しんだと
記録されています。レルヒは同年9月までの滞在となりましたが、その後教え子た
ちによってスキーは北海道各地に普及し、冬の暮らしに欠かせないものとなり、や
がてはスポーツへと発展していきました。
市内春光台にはレルヒの業績を讃え「北海道スキー発祥の地碑」が建つほか、空の
玄関口である旭川空港前に銅像が建立されています。空港にジェット機を降り立つ
スキーツアーたちの姿を見て、レルヒもきっとにこやかに歓迎しているのではない
でしょうか。


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