
旭川市立図書館に保管される
貴重な小熊秀雄の原稿などの資料。
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旭川といえば三浦綾子、井上靖を思い浮かべると思いますが、詩人の
小熊秀雄や今野大力、坂東三百、中家金太郎など旭川ゆかりの作家を
はじめ、明治大正の古くから多くの文士の往来があり、文化の香り高
いまちとして知られています。
中でも、小熊秀雄は旭川で結婚し、北海道旭川新聞社の記者として7年
間旭川を生活と創作活動の拠点にしました。自由な会話体で民衆の生活
を描き、生の言葉で叫びかけましたが、39歳という若さでこの世を去り
ました。
旭川では、彫刻の中原悌二郎賞と並び、全国的に知られる小熊賞が昭和
43年から設定され、詩人の登竜門となっています。ちなみに、戦時下の
統制によって『のらくろ』や『冒険ダン吉』といった漫画が消えていった
時代に一世風靡したSF漫画『火星探検』の原作者「旭太郎」は小熊
秀雄その人でした。
三浦綾子は「旭川と小熊秀雄」と題して、次のような文章を詩集に寄せ
ています。
小熊秀雄は、小樽で生まれ、樺太にわたり、二十歳の時、姉を頼って旭
川に住みついたという。そして二十七歳で上京し、三十九歳で東京で死
んだ。つまり、彼が三十九年の生涯のうち旭川に住んだ年月はわづか七
年に過ぎない。が、彼の詩碑は、旭川常磐公園に建ち、文化団体が小熊
秀雄賞を設定した。この全国的な賞によって、小熊秀雄は全国の詩人た
ちと強いかかわりを持つに至った。
そう考えてくると、彼の三十九年の生涯に於ける、彼の本当のふるさと
は、旭川ではないかというような気がする。本来ふるさととは、理解し
愛し、育ててくれるところでなければならない。彼の死後三十年を経て
まさにわづか七年住んだだけの旭川において、全国的な小熊賞が設けら
れようとは、彼も想像することはできなかったであろう。もし、彼が、
旭川に住むことが無ければ、小熊秀雄という詩人を誰が顕彰してくれた
であろう。わたしはふっとそう思うのである。
(小熊秀雄詩集/旭川文化団体協議会刊/1975第4版)
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また、旭川は第七師団と関係する作家が多彩です。明治38年には生後
3か月の伊藤整が春光町の師団宿舎に移り住み、作家としてもたびたび
旭川を訪れています。大正3年5月には森鴎外が軍医として師団を訪れ
3日間滞在。師団を舞台とした徳富蘆花の『寄生木』は有名で、春光台
にはそのモデルの小笠原善平を偲んだ句碑が建っています。このほか
来旭した文士として野口雨情、芥川龍之介などがいます。
そんな中にあって、忘れることができないのが石川啄木の存在です。
明治41年1月20日、釧路に向かう途中、23歳の石川啄木は旭川に立ち
寄り宮越屋旅館(旭川西武B館前に宿泊の地表示板あり)に1泊してい
ますが、たった一夜限りの旭川ではありましたが、その旅を名著『一握
りの砂』に残しています。一部を紹介すると…
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし 我が家のごと
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊まりし宿屋の
茶のぬるさかな
啄木は歌以外に著書『雪中行』の中で旭川の風景を見事に捉えています。
さらに、森鴎外や北原白秋、そして啄木という雅号の名付け親でもある
与謝野鉄幹(寛)・晶子、さらに金田一京助らとも親交が深く、偶然に
も白秋、鉄幹・晶子、金田一もみな来旭しています。 |
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大正12年夏、27歳の夏に旭川農業試験場(6の13)を訪ねた宮沢賢治。
スケッチ風詩で「旭川」を描写しました。 |
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