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明治期から大正・昭和初期にかけて、旭川に天才と呼ぶにふさわしい鉄道測量
技手がいました。その人の名は、川村カ子ト。旭川の近文で生まれ育ったアイ
ヌの酋長です。少年の頃見た蒸気機関車に魅せられたカ子トは、学校を卒業す
ると同時に測量人夫へ。アッというまに測量技手の名手に登りつめていきまし
た。
その身体能力、頭脳、リーダーシップ力は誰もが認めるところとなり、宗谷本
線や根室本線をはじめとする鉄道施設の測量の先頭に立ちました。北海道に敷
設された鉄道の測量の大半は、カ子トをリーダーとするチームによって成し遂
げられたのです。しかし晩年目の障害を患い、あえなく退職。
そうしてその後、これまで貯えてきた財をすべて投じて、アイヌ酋長として、
アイヌ文化を後世に伝えるための記念館を設立しました。それが「川村カ子ト
アイヌ記念館」です。
現在は第九代目の川村兼一氏が同館を継ぎ、同館にはアイヌ文化にかかわる資
料や道具などとともに、貴重な鉄道資料も数多く展示されています。
毎年9月に神居古潭で行われている神聖にしておごそかな
「コタンまつり」。神々に感謝の祈りを捧げ、人々の安全
と幸せを祈願する儀式が行われています。

知里幸恵は1903年、北海道の登別に生れ、6歳の時、旭川に住む叔母金城マツ
にあずけられました。
1918年、ある夏の夕方。一人の男が金城マツとその母モナシノウクを訪ねて旭
川にやってきました。身なりのよい痩身な男の名は、金田一京助。目的はモナシ
ノウクとマツからアイヌの叙情詩「ユーカラ」を聞くためでした。しかしそこで
待ち受けていたのは、幸恵という旧制中学校に通う天才でした。
文字という文化をもたないアイヌ語の「ユーカラ」を暗誦しているだけでなく和
訳する語学力を備えていました。やがて学校を卒業した幸恵は、金田一京助の熱
心な誘いから上京し、氏の元で執筆活動を。ところがじわじわと病にむしばまれ
その完成を見ることなく、19歳の短い一生を終えました。
くしくもその日は、校正を終えた日のことでありました。

死の翌年に発行された『アイヌ神謡集』。これをきっかけに、
金城マツは『ユーカラ集』全7巻、幸恵の弟の真志保は『アイ
ヌ語入門』などを刊行。
TV「知ってるつもり」で幸恵が紹介された時の下敷きと
なったと思われる藤本英夫の著書。
89年には中学校の教科書に収録。


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