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史跡 上川離宮予定地
明治時代、残念にも幻に終わった上川離宮計画の予定地を示す史跡。
まだ入植者も数えるほどだった明治22年、上川を視察した北海道長官
永山武四郎が「北京を北海道に設置して人心を北に」と、上川離宮造営
地設定の意見書を提出したことに端を発する上川離宮計画は、「上川に
北京を」という明治の初期に北海道の開発を担当した首脳者たちの悲願
でした。やがて離宮予定地として美瑛川と忠別川の間の小高い丘である
神楽岡が選ばれたのですが、札幌方面からこれに対する大反対の声が
おこり、この計画はついに日の目を見ることなく、歴史の中に埋没してし
まいました。
予定地跡には、永山武四郎が離宮計画を決定した内閣の宣達文を自書し
これを記した「上川離宮宣達書碑」と、永山武四郎が天皇の行幸を仰い
で詠んだ「永山将軍歌碑」が立っています。
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